1979年、新しいガスオペレーテッド/ロテイティング・ボルトのマグナムオート開発を目的にマグナム・リサーチ社設立。ミネソタ州セントポールに設立されたこの会社は当初社長を含め3人(J. Lindig, J. Skildam, H. Z. Skildam)の小さな会社であった。 同社のプロジェクト「マグナム・イーグル」によって独自の機構のパテントを取ったのが1980年。1981年にはプロトタイプが完成。しかし作動が完璧ではなく、約80%の作動率であった。その後、同社はガリルでガスオペレーションに実績あるIMI社に打診、IMI社に開発が受け継がれた。なお、1982年のSHOT Showではこの初期の357マグナムモデルが展示され、American Handgunner誌(May/June 1982)でも紹介された。この時点ではイーグルという名前であったが、既に米国で商標登録されていたため、デザートイーグルと改名された。 IMI社による改良が続けられ、数千発のテストファイアを経て1983年には1000挺を超える試験生産モデルが完成された。#3001からのシリアルNo.を持つこのモデルはコンベンショナル・ライフリングを持ち、その後の量産モデルのコンバージョンキットと互換性がない。この試験生産モデルは、今やコレクターズアイテムとなっている。 1985年にポリゴナル・ライフリングに改良された357マグナム量産モデルが市場に出たが、158gr.以上の弾頭でなければ作動に必要な圧力を得られない等まだ問題のあるものであった。ちなみに1985年公開の映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(米・1985)には既にデザートイーグルが登場している。これが映画初登場だ。 デザートイーグルが軌道に乗ったのは1986年に44マグナムモデルが登場して以降の事である。デザインはインプルーフされ、作動は確実なものとなった。同年に記念コインつき、ウォールナットケース入り限定1000挺(ゴールドエディション100挺、シルバーエディション400挺、ブロンズエディションが500挺)のコレクションシリーズを生産している。 1987年には41マグナムモデルが登場したが、このモデルも弾自体も人気が無く、後に姿を消している。 1996年頃からマグナムリサーチ社は米国で50AE Mk VIIを土台としたMk XIXシリーズの生産を開始した。このシリーズによってマガジン、バレル等を交換することで全口径を撃てるようになった。同時にホーグ社のラバーグリップが標準装備となった。 <参考文献> |
・357マグナム、44マグナムで5000発毎、50AEで3000発毎にリコイルスプリングの交換が推奨されている。(Gun誌2000-1) ・IMI社によればデザートイーグルはイスラエル軍の国境警備、戦車兵に用いられたというが、公的にそれを確認した情報はない。Gun誌1999-5によれば「軍が強く制式採用を示唆しているにも関わらず、イスラエル軍の制式装備とはならなかった。あくまでも、将校た下士官が個人的に装備しているのにとどまっている」とされている。 ・ドイツのゾンマー&オッケンフス社は、ミルポル・パリ1999でデザートイーグルにセンサテック製のストックを被せたタクティカル・セミオートマチック・ウェポンを発表した。ブルパップ状のストックでスコープ、ライト、レーザーモジュールが装着されるもの。また、スライドがストックでカバーされるためコッキングハンドルがスライドに付けられている。 ・WA社はガスブローバックで44デザートイーグルを1995年に発売した。が、実は試作品は2年前には完成していた。もっと後に出す予定だったが、マルイに合わせて発売を早めたのである。なお、44マグナムモデル発売時には50AEモデルの発売も予定していた。(Gun誌1995-7) |